黄門様ゆかりの地
★今からおよそ3百年前の元禄十年、はるばる丹波国小口(京都府亀岡市)からやって来た国学者の安藤朴翁の旅日記『ひたち帯』を読んでみると、当時七十歳になった黄門様が栄蔵小屋があった小島に橋を架けさせ、それを渡った時の朴翁の驚きと興奮した様子が書かれています。

「川尻の浜などをすぎて栄蔵小屋といふ嶋山を見る。この嶋山はむかしは田尻村の山つづきたりしが、あらき浪風にいつとなく崩れたへておのづから嶋となれりとぞ。西山公(黄門様のこと)の好事にて、こなたの岸より橋をかけて渡り通ふに、橋の下四、五丈もやあるらん。蒼浪たたへていとすさまじく、股ふるひ、あなうら(足裏)しじ(ちじ)まる心地ぞする。嶋はみないはほにして、まわり六、七町もあるべき・・・・・・」

★黄門様が年老いてもなお好奇心旺盛だったことや、朴翁が、栄蔵小屋の架け橋を、「西山公の好事(ものずき)」と評しているのはとても微笑ましいかぎりです。
★この小島はいつの頃からか海中に没して、その姿を消してしまいましたが、山伏がうたった七五調の「道行文」や「田尻八景」の一つにとり上げられていることから、かなり古くから知られており村民には自慢の一つであったようです。
★江戸幕府が元禄十五年に作成した「常陸国絵図」にその橋が小さく描かれているのが見えますが、それはふるさと日立にとって実に興味深い話しです。
★裸島から海崖を望む時、栄蔵小屋があったと思われる小島のあたりには、白い波が青い海の中に渦巻いて見えます。