田尻八景

田澤の夜雨
田澤あたりの地形は東西に緩やかに起伏しながらの稜線が続きます。むかしは柳の木がはえており、夏の夜の雨に濡れてひかる雫の様は風情があったことでしょう。傍の丘には田尻館という佐竹時代の土豪の居館が天然の要害である山岳を利用して建てられていました。
度志山の晩鐘
ここには江戸時代、水戸三十三所観音巡りの第15番札所になっていた度志観音の御堂があり地元の信仰を集めていました。むかしは晩楼もあり、夕方になると鐘の音がこの一帯に鳴り響いたことでしょう。
観音さまを彫った石壁が、石造りの御堂のなかに祀られています。
前田の落雁
前田は田畑が残る海岸に近い地域です。前田を地名辞典で引くと「前方・前面。とくに神社仏閣の前方前面」とありますが、近くに不動明王が祀られる不動尊堂があります。むかしはのどかな田園に雁の群れが稲穂を求めて舞い下りる姿が見られたということです。
相田浜の晴嵐
常陸風土記によると、そのむかし日本武尊が「あわびや鯛などの海の幸を飽きるほど食べた」とあり、後に飽田(相田)村と名がつきました。切り立った崖の上に松林が広がり海の眺望は見事です。晴嵐の中の白波と松籟のシンフォニーは時を忘れさせてしまいます。
栄蔵小屋の帰帆
源平盛衰のむかしのむかし、栄蔵という僧が小島に小屋を建てて修行をしていました。その栄蔵を尋ねて来た西行法師がその質素な暮らしぶりに感じ入り、裸島にたとえて詠ったという歌が残っています。
「大田尻衣はなきか裸島沖吹く風は身にはしまぬか」
これに対して栄蔵が次のように反歌したといわれています。
「朝な夕な浪のぬれ衣着るものを、裸島とはなに名づくらん」
栄蔵小屋は黄門様ゆかりの地でもあります
裸島の秋月
大田尻海岸にある裸島には、中秋から早春にかけて海鵜が飛来します。満月のひかりに照らされた裸島と、波のうごきにあわせて照りかえす月の光の美しさは今も昔も変わりません。静かなたたずまいの中に聞こえる潮騒はいつのまにか心をやさしくしてくれています。
種殿神社の暮雪
田尻村鎮守の種殿神社は「じゅうどの」と読みます。国づくりの神である大己貴命を祭神とし、境内には日立の保存樹に指定されている樹齢350年以上の椎(スダジイ)の巨樹があります。冬の日の雪がうっすらと積もった鎮守の森は今も神々しさを感じさせます。
田尻富士の夕照
田尻富士は田尻丘の西にそびえる双子山で、頂には富士浅間神社の信仰を物語る小さな石の祠があります。この田尻富士の麓の田尻宿南端に真言宗東光院があり、夕焼け色に染まった田尻富士の景色の中に晩鐘が静かに静かに鳴り渡り溶け込んでいきます。



ペリカン目ウ科の鳥の総称を《》といいます。中・大形の黒色の水鳥で首が長く、くちばしの先は鋭く下に曲がっています
現在は保護鳥に指定されており、海鵜と川鵜がそれぞれ海と川に住んでいます。
海鵜は渡り鳥で春は繁殖のために千島列島や北海道沿岸部へと向かい秋は越冬のために本州沿岸部に飛んできます。
鵜のみという言葉があるように捕らえたさかなをそのまま呑み込んでしまいます。この習性を利用して鵜飼が行われます。現在全国9ヶ所で鵜飼がおこなわれていますがすべて茨城県多賀郡十王町で捕獲されています。
首を前につきだして羽を不器用に一生懸命動かして飛ぶ様はコッケイでもあり愛嬌もあり、楽しませてくれます。また、ペアーを大切にするあまり片方がいなくなると強暴になったりすることもあるそうです